11年半勤めた会社を辞めました。エン・ジャパン(株)という会社です。
同社の設立が2000年1月。自分が入社したのが同年9月。当時、従業員数はたかだか20~30名。家族も友達も知らないような無名のベンチャー企業でした。その後、急成長を遂げ、JASDAQにも上場、一時は従業員数が1000名を超えたほど。一方で、リーマンショックでは大打撃を受け、賞与カットや希望退職も行なうなど辛酸もなめました。
ただ、創業期に入社したおかげで、絶頂期もドン底も味わえたのは、本当に良かった。さまざまな経験をさせていただきました。
事業も仲間も好きだったので、このまま続けていくという選択肢があったのも事実。しかし、辞めることを決意しました。理由はさまざまあるのですが、3つ挙げるとするなら・・・
1. いちライターとして、自然を通じて世の中に伝えるべきことがあると感じた。 2.ネットの世界ではなく、リアルの世界で生きていきたかった。 3.母の急死を経験し、死を身近に感じた。
では、私がこれから何になるのかというと、フリーランスのアウトドアライターです。
私はこれまで、登山(単独行)を通じて、孤独になることの素晴らしさを味わってきました。ケータイもスマホも使えない中、自分の思うようになるはずもない大自然と対峙する。何をするにもすべて自分の判断。自ずと、自分を信じ、頼るようになる。時には自分の無力さを、時には自分の強さも実感する。独りになることで人のありがたさも心からわかるようになるのです。
多くの人が四六時中デジタルガジェットに触れている現在。常に誰かとつながっている(つながった気になっている)状態から離れ、孤独になること、つながらないことでわかる大事なことがあると思うのです。孤独はさみしいことではなく、自分と向き合うための素敵な時間。それを私は自然の中を歩く行為を通じて伝えていきたいと考えています。
36歳での転身。安定収入も、地位も捨て、一からのスタート。リスクは山ほどある。でも、一度きりの人生、何をしてまっとうしたいか考えた末にくだした決断です。
お久しぶりです。 中目黒のH家ホームパーティにて何度かお会いしています。(「おかあちゃん」と呼ばれている私です)
とても素晴らしいです。
思うように生きる、ことの醍醐味は、時間を自由に使えるということだと思います。全ての選択権は自分にあるし、責任も自分にある。自由も人としての自由は制限された中での自由ではありますが、制限されているからこそ、より善く生きよう、生きたいと願うのだと思います。
私も36才になる時に、人生の岐路が訪れました。それから10年経とうとしています。この10年の間に、いろいろなことを経験したからこそ、「普通であること」「平凡であること」がどれほど幸せなことなのかを感じています。
私が言うまでもないですが、
思う存分、根津さんの人生を歩いて下さい。
根津さんのお母さんは、心の素晴らしい人なのだと感じます。
” おかあちゃん ” より
返信が遅くなってすみませーん!!!
いま、424km地点の街に降りてきたところです。やっとネットがつながります(笑)
もちろん、覚えてますよ!名前は覚えてないのですが(苦笑)お子さんとも絡ませて
いただきましたし。ほんと、ご無沙汰しております。そして、メッセージありがとう
ございます。
おかあちゃんも、私と同じ時期に転機があったのですね。それから、早10年ですか。
勝手な憶測ですが、後悔なくステキな人生を歩んでいる印象です。
私は、おかあちゃんに比べれば若輩者ですが、やれることをとことんやりたいと
思います。応援ありがとうございます。
帰国したら、ぜひまたH家で!
7月11日にトゥオロミーメドウで会った、JMTハイカー「シゲ」こと木村慈延です。PCTは順調ですか?無事にカナダに到着してお会いできる日を楽しみにしています。私は二週間ほど前にジョンミューアを歩き終えて、すっかり日本の生活に戻っています。戻ってみるとなんだかアメリカにいたのが嘘のように思えます。
実は私もジョンミューアを歩いてみて、すごいなとは思ったものの、感動はしなかったんですよ。なのに、なんとなくまた歩きたくなっている・・。不思議なものです。
残りも怪我のないように気をつけてくださいね。
それではまた。
シゲ、覚えているよ!
オレはね、順調順調!
でも、友人ハイカーが疲労骨折したので、
無理せず、コツコツ進もうと。
とはいえ、このハイクも残り2カ月弱だよ。
日本に帰るのかあ(苦笑)。
怪我はカナダの方ですか?それともJ子さん?
どちらにしても早くよくなると良いのですが・・。
あと二ヶ月弱とのこと。なんだか寂しいですね。
僕にはそれでも想像できないほどの長さですけど。。
雪が降らないうちに帰ってきてくださいね!