死ぬわけじゃない。

 

いま歩いている南カリフォルニアは乾燥地帯。この季節、雨が降ることはまずない。気温は連日40℃を超える勢い。そんな中、歩きつづける上で最も重要なのは、“水”である。

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なるべく多くの水を持ち運びたいが、背負える量にも限度がある。また、体への負担を考えると荷物はなるべく軽くしたい。だから、水場(川や湧き水など)をあらかじめチェックし、その地点までの必要最小限の水を持っていくのである。

しかし今年は、例年を上回る乾燥により、水場が枯れてしまうという事態が頻発しているのだ。事前に情報は入手していたものの、現実を目の当たりにしてはじめて、その恐ろしさを理解した。

灼熱地獄の中、喉の渇きを我慢しつづけるのは容易ではない。もし道を間違え、この砂漠地帯を彷徨うことになったとしたら・・・結末はひとつしか考えられない。

 

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生まれてはじめて味わう嫌な恐怖感。
これまで、楽天的な私は、格好悪いふられ方をしたときも、仕事で大失態をやらかしたときも、ラーメン屋のおばちゃんの親指がスープに浸っていたときも、三十路を過ぎてからウ○コを漏らしたときも、最終的には、

『別に、死ぬわけじゃない』

という思いに行き着いていた。いつも、私の拠り所になっていたのは、この言葉だった。

それが通用しない世界に、足を踏み入れてしまったのだ。

とはいえ、恐れていても仕方がない。細心の注意を払いながら歩みを進めるほかないのである。最終手段としては、これだ。
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そう、“雨乞い”である。

ちょうどアメリカ人ハイカーが通りかかったので、ジャパニーズAMAGOIだと教えてやったのだが、どうも理解できなかったようだ。無論、その後、空から雨粒が落ちてくることはなかった。

※343mile(約549km)地点の宿泊施設より。

 

 

 

前進だけがすべてではない。

 

幼少期からカラダは丈夫なほうである。風邪もめったに引かないし、大きなケガもしたことがない。特に足腰は屈強で、生まれてこのかた、足をくじいたことも腰を痛めたこともない。だから、今回のハイクも、用心さえしていれば大丈夫だと思っていた。

そんな私が、ケガをした。

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場所は、スタート地点から109.8mile(約175.7km)のところにあるワーナースプリングという街。いつのまにか、両足の小指と足の裏の皮が剥がれていたのだ。

理由は明白だった。毎日11〜13kgの荷物を背負って、15〜20mile(24〜32km)の山道を歩いているのだ。足への負担は積み重なるばかりである。

でも、たかがこれくらい・・・私はそう思った。こんなん気にしていたら、4200kmなんて踏破できるかと。カリフォルニアの大自然の中を歩く悦びに満ちあふれていた私は、前に進むことしか頭になかった。

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出発すべく腰を上げようとしたその時、『本当に、その選択でいいのか?』私は自分に問うた。私は決断する際、必ずそう問いかけるようにしている。特に山においては、自分の身は自分でしか守れないのだ。加えて、すべて自己責任である。

ここは異国の地。数日レベルのハイクではない。不衛生な状態も長くつづく。症状が悪化したら長期離脱もあり得る。病院行きの可能性だってある。さあどうする、俺。行くのか。行かないのか。

結論。今日明日は、足の治療に専念する。

そもそも、スピードを競っているわけではない。約6カ月の長丁場。急ぐ理由もないのである。留まる勇気も必要だ。そう自分に言い聞かせて、ゆっくり休みをとることにした。

さて、隣のグラウンドで開催されている少年野球でも応援するか。

 

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こうやって山と離れるのも、ロングトレイルならではの魅力なのではないだろうか。「がんばれ、将来のメジャーリーガー!」

愛しのジュリアン

歩きはじめて数日。早くも、ジュリアンという名の女性と恋に落ちた。

なーんてことがあったら、それはそれでハッピーなのだが、そうではない。Julianというステキな街におりてきたのだ(食料補給のために、週イチくらいで街にはおりることになっている)。ここは、ゴールドラッシュ時代に栄えたサンディエゴの小さな街。歴史ある街並みが特徴的である。

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広告業界に身を置いてきた自分にとっては、80年代のキューピーマヨネーズの広告を彷彿とさせる風景。「ハンバーガーを焼くのを卒業して、アメリカン・ジゴロになった(当時のキャッチコピー)」みたいな。とにかく歩いているだけで愉しいのだ。ジュリアーン、ジュリアーン、ジュリアン Wont you stay for me〜♪ と口ずさんでしまうほどである。

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PCTハイカー御用達の店といえば、アップルパイで有名な『Mam’s Pie』。なんと、ハイカーは無料でランチが食べられるのである。もちろん、私もそれを目当てに足を運んだ。迎えてくれたのは、感じが良く、やさしい笑顔のアメリカングランドマザー。迷うことなく、アップルパイとコーヒーを頼んだ。

他のハイカーもいたのだが、なんとアイスやサンドイッチやスープも食べているではないか。そう、実はここ、がっつり注文してもOKなのだ。こんなところにも、控え目っぷりが出てしまう私・・・。そういえば、前職時代、某エライ人が「営業は、あつかましさが大事やぞ」とよく言っていた。やはり、営業職を選択しなかったのは正解だったようだ。

リンゴの甘さとシナモンの香り。そして、ハイカーフレンドリーな雰囲気。その余韻に浸りながら、店をあとにする。

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街を歩くと、どこからともなく聞こえてくるのは・・・ジュリアン Wont you stay for me〜♪

Julianの町歌になることを願ってやまない。

スタート

成田空港に着き、いよいよ人生初の国際線。すでに気分は海外モード。とりあえず、『はじめての海外』的な本を読んでみる。搭乗後、通路をふさいでいたオジさんがいたので、さっそく「Excuse me!」。オジさん振り向く。明らかに日本人・・・。日系人のフリを決め込む。

「堕ちたりしないだろうか・・・」という私の不安をよそに、飛行機は無事、乗継ぎを経てサンディエゴに到着。迎えに来てくれていたスカウトさんの車に乗る。そう、スタート前日は、スカウト宅に泊まるのだ。彼は『トレイルエンジェル』と言われるハイカーのサポーター。ボランティアでこういった援助をしている。アメリカならではの素晴らしい文化だ。

私が訪ずれた日は、40名くらいのハイカーがいただろうか。当たり前だが、会話はすべて英語。若干パニック気味だが、挨拶ならできる。「Nice to meet you. My name is “Taka”. And what is your name?」の多投である。

おかげで、少しずつ「Hi “Taka”!」と呼ばれるように。滅多にいない東洋人だから覚えやすいのだろう。しかしだ。逆はタイヘンなのだ。誰が、トムでウォレンでピーターでダニエルか、さっぱりなのである。だから、声をかけられたら 得意の“また会ったね”スマイルで凌ぐしかないのであった。

そんなこんなで、一夜が明け、朝6時前にクルマで出発。数十分後、ついにスタート地点であるメキシコの国境前に着いたのであった。躰の奥底のほうから、感情が込み上げてくる。ただただ、ここに立てたことが嬉しい。トレイルを一歩たりとも進んではいない。しかし、スタートラインに立たなければ、何事も始まらないのである。そこに立った者だけが、前に進む権利を得るのだ。