自分のやりたい仕事とは?

前回に引きつづき、仕事の話を。

以前、人材系のビジネスに携わっていたこともあり、この時期、自然と就活やら新社会人やらの情報が多く入ってくる。

たとえば仕事について。やりたい仕事を探そう、社畜になるな、まずは先輩の言うことを訊け・・・などなど、意見やアドバイスはさまざまだ。

いずれも一理あるし、間違ってはいないのだろう。というか、万人に適用できる模範解答など存在しないであろう。

ただ、やりたい仕事なんて、そうそう見つかるわけではない。

僕自身もそうだった。20歳ちょっとの頃、社会人経験もなく、世の中の仕事もよく知らない自分が、心底やりたいと思える仕事を探す。これはかなり難しいことに感じられた。

正確にいうと、やりたい仕事(もしくは、なんとなくやりたいと思えた仕事)がなかったわけではない。一時的に見つけたというか、自分に言い聞かせ、マインドコントロールしていた部分が大きかった気がするが。でも、多くの人はそんな感じではないだろうか。

普段の暮らしにおいてもそうだが、やりたいと思ったことをやってみて(ヨガをやってみてとか、料理をしてみてとかでもいい)、期待はずれだったり、またやりたいと思えなかったりすることは、よくある。そもそも、自分の「やりたい」という気持ちなんていうのは、かなり不確かなものである。好きになった人を嫌いになったりするのもそうだが、人の感情は不可思議であり、自分でも予測がつかない。

まあ、感情論と仕事を同列に考えていいのかどうかは分らないが、僕はそう思う。

一方で、とりあえず与えられた仕事をこなせるようになる、というのもしっくりこない。筋トレと同じで、意識せずにやっても筋力はつかないし、盲目的にやることほどつまらなく、かつ苦痛なものはない。

じゃあ、僕はどうしていたのか。 とりあえず、携わる仕事に、いちいちやりがいを見いだしていた。 20代の頃、好き嫌いでいうなら嫌いな仕事も山ほどやった。でも、拒否したり、会社を辞めようと思ったことはない。

なぜなら、僕は自分のことを凡人だと思っていたからだ。とくに才能があるわけでもないし、どちらかというとコンプレックスのほうが大きかったかもしれない。だから、好き嫌いではなく、いろんな仕事(業務)をやってみて、あるかもしれない(ないかもしれない)自分の隠れた可能性を引き出したかったのである。

社会人になりたての僕にとって、やりたくないと思う仕事は、言わばただの食わず嫌いでしかないのだ。やってみないと分かるはずがない。事実、まったく興味のなかった仕事に取り組みはじめて、想像以上の楽しさを味わったこともたくさんあった。

職業に貴賤なし。 どんな職業も、その仕事には必ず目的があり、なにかの役に立っている。それを理解して取り組めば、好き嫌いはともかく、やりがいを感じることはできる。そうして経験を積んでいくなかで、徐々に仕事や自分に対する正しい判断基準が身につき、本当にやりたい仕事や自分の適職を絞り込んでいくことができるのではないだろうか。

だから僕は思う。社会人になったばかりの頃は好き嫌いで仕事をするのではなく、やりがいを大事にしたほうがいいと。ま、才能がある人や自分に自信のある人は別ですけどね。

 

 

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