山ギョーザ

無性にギョーザを食べたくなる時がある。

とある休日、僕はその気持ちに襲われ、いてもたってもいられなくなった。

ちなみに僕は栃木県の宇都宮市出身。そう、ギョーザの街である。消費量No.1になることも多いのだが、実はコレ、世帯当たりの購入額なので、外食は含まれずスーパーなどで買ったものが対象。だから僕も幼い頃から家でギョーザを食べることが多かった。「今日の晩ごはんはギョーザ!」なんてことはよくあった。

そんな背景も手伝ったのかはわからないが、その日は自分で焼いてみようと思ったのだ。

いちから作るのは面倒なので、近所の日高屋で冷凍ギョーザ(30個で580円!)を購入し、向かったのは家ではなく奥多摩だった。

ルートは、「払沢(ほっさわ)ノ滝〜浅間嶺〜松生山(まつばえやま)〜笹平」。

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集落の家々を眺めながらの里山歩きは、なんだか昨年秋に訪れたヒマラヤとも似ていて、旅のつづきをしている気分になった。

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浅間嶺までは、のんびり歩いてもたかだか2時間半。山頂でいざ調理スタート。まずフライパンにカチンコチンの冷凍ギョーザを敷き詰め、火をつける。その無表情、無感情な佇まいは美味しさのカケラすらない。お湯を注ぐと、グウァジャーーーッという破裂音ととにも真っ白な湯気が立ちのぼる。すぐさまフタをかぶせる。徐々に音はやさしくなっていく。幼い頃から聞き慣れたこの音の変化が僕は好きだ。おふくろの味ならぬおふくろの音である。

こんがり焼き色がついたギョーザを、まずは半分だけかじってベールに包まれていた秘部をたしかめながら味わう。2個目は丸ごと口に入れて、ガッシャガッシャと暴力的に咀嚼しながら皮と具のマリアージュを楽しむ。3個目は噛むのもほどほどに、ギョーザはのどごし!とばかりにゴクリと飲み込む。まあ食べ方なんでどーでもいいのだが、僕は1時間ほどギョーザとの蜜月の時を過ごした。

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満たされた僕は重い腰を上げて、松生山経由で下山することに。この下山道は、昭文社の山と高原地図だと破線になっていることもあってか、人が皆無。

破線ルートとはいえ、登山道ははっきりしていて、道標もあり、迷う心配はない。ただ激坂下りなので、けっこうハードである。「マジかよっ!」と思うほどの急斜面もたびたびあって、なんともアドベンチャラスだった。

下山口の笹平に辿り着いたときには、もう安堵感でいっぱい。あれだけたらふくギョーザを食ったのに、その満腹感も満足感もすっかり消え失せ、空腹度100%。「中華屋さんでギョーザでも引っかけていくか!」と決意をあらたにして奥多摩を後にした。

夏の思い出

「夏の思い出」で連想するのは、いまの時代、ケツメイシなのだろうか。手をつないで歩いた海岸線・・・そうしたい気持ちはある。しかし、向かったのは海ではない。「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 とおい空」のほうである。

 

べつに歌を思い出して行き先を決めたわけではない。住まいからのアクセスがよく、残雪もなく、涼しくて、2泊3日ぐらいでいけるところを考えていて、たまたま候補のひとつに挙がっただけである。

 

尾瀬は僕が生まれ育った栃木県にもまたがっているので(その他、新潟、群馬、福島をまたぐ)、小さい頃に遠足かなにかで歩いた記憶がある。それ以来なので、20〜30年ぶりぐらいだろうか。

 

今回のコースは、福島県の燧ヶ岳(ひうちがだけ、2,356m)を登り、尾瀬ヶ原(湿原)を経て、群馬県の至仏山(しぶつさん、2,281.1m)を越える2泊3日のメジャールート。 平日ということもあり人はまばら。独り歩きを満喫するぞ!などと思いながらのんびり歩く。

 


 

根っからの花より団子人間である僕は、尾瀬に行くからといってもその風景については大した期待もしていなかった。しかし、目の前に広がる湿原は想像以上にすばらしく、花っていいもんだな・・・と柄にもないことを本気で思ったのである。

 

次から次へときれいな花があらわれる。だが、なんの花かはさっぱり分からない。こんなことなら、事前に調べておけば良かったとちょっと後悔した。

 

まあでも、人間なんてのは後悔する生き物なわけで、悔やんでからできることをやればいいじゃねーかということで、独り歩きを満喫・・・なんて気持ちはあっさり捨て、「尾瀬の花を堪能しにきました」風の老夫婦に「この花って、なんですか?」と聞いてみる。

 

すると奥さんのほうが「これがニッコウキスゲで」「あとそれはモウセンゴケって言ってね」「そうそうお兄さん、これはね」などと、たくさん教えてくれた。いやはや、さすがオバチャン。声をかけて正解だった。

 


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声がけが勢いづいてしまったのか、同じ行程で歩いていたおじさんとも意気投合。ペースは違えど泊まる場所(テント場)は一緒だったので、自然と二晩とも酒盛りに。50過ぎの人だったのだが、山の話というよりはお互いの身の上話で盛り上がる。

 

最終日は土曜だったため、朝から団体の登山客が大勢あらわれる。しまった、早起きして歩き出すべきだったか・・・などと思ったが時すでに遅し。至仏山の登りで渋滞が起きていた。

 

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こうなったら渋滞をたのしもう!ということで、前の人に声をかけてみる。京都から来たご夫婦で、全国の山々を登っているとのこと。ほかにも、大阪から来た主婦3人組など、いろんな人と雑談をしながら至仏山を歩いた。

 

結局のところ、尾瀬以上に人との出会いを楽しんだ山行だった。これだけ気軽に声をかけられるなら、日常生活でナンパだってできんじゃねーか?などと気を大きくしてみたりして。来年は、手をつないで海岸線を歩くぞ、と誓った暑すぎる夏。

 

 

 

トレラン、はじめました。

そう、トレイルランニングである。

 

思い返してみると、山や自然に傾倒するようになったきっかけは、登山ではなくじつはトレランだった。まず最初に近所の低山を走るようになり、でもよくよく考えると走りたいわけではなく自然のなかに身を置きたいんだなと自覚するようになって、登山へと移行していったのである。

 

そしてまた、数年の歳月をへて、トレランがはじまった。 とはいっても、完全にシフトするというわけではなく、山遊びの一環としてトレランもやるのである。

 

なぜまた興味をもったのか。

 

「ベアフットランニング」に惹かれたのである。 べつに走ることが好きなわけではない。ベアフットランニング、要は裸足感覚で走ることに興味を覚えたのだ。

 

僕の浅い浅い知識でざっくり説明すると、この走法は、従来の「かかと着地」ではなく、「前足(フォアフット)着地」であるのが特徴。フォアフットランニングやナチュラルランニングとも言われている。

 

かかと着地だと衝撃が大きすぎるため、自ずとソールのかかと部分は厚くなる。でも本来人間には衝撃を吸収する機能が備わっており、それを有効活用するのがフォアフット着地。この走り方のほうが自然であり、体への負担も少ないというのである。

 

垂直跳びをしたときの着地のシーンを想像してほしい。かかとから着地する人がいるだろうか?だれもが衝撃を吸収するために、フォアフット着地をするはずである。

 

まあ僕にとっては、善し悪しとか、負担の大小は大した問題ではない。それよりもなによりも、人間の能力を最大限に活かすところ、モノに依存するのではなく自分自身を頼りにするところに、この上ない面白さを感じたのだ。

 

以前のエントリーヨセミテに見る私的景色論に僕の性癖を書いたが、ウルトラライトやマニュアル車が好きな理由と同じなのである。そして、どうせ走るならロードじゃなくてトレイルがいいと思ったのだ。

 

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ベアフットランニング用のシューズも手に入れた。イノヴェイトのトレイルロック235。ゼロドロップ(かかとからつま先までの落差がゼロ。つまりぺったんこということ)のシューズである。

 

最初は、慣れない走り方から来るふくらはぎ痛に悩まされたが、1〜2週間でコツを掴み、いまでは気分よく走っている。

 

これから、山遊びのひとつとして、トレランもガンガンやっていきたい。

 

ふたたび、アメリカへ。

8月末から9月いっぱいまで、アメリカに行く。パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)の残りを歩いてくるのだ。

 

僕は昨年、PCT(総延長4,265km)をスルーハイク(一度に歩ききること)しにいった。しかし、諸事情により3,600kmまで歩いて帰国したのである。

 

かなり歩いたし、そうとう楽しんだし、ロングトレイルが何たるかも理解できたと思う。でも、残り約600㎞強、歩きたいのである。

 

昨年は、持ち前の英語力のなさから、事前に用意すべき許可証を取り忘れたりもした。でも今年は、スルーハイクの許可証はもちろん、カナダへ入国するための許可証も、ちゃんと取得した。後者に関しては、PCTを歩いているうちにカナダの国境を越えてしまうので、必要になるのである。

 

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「なぜ行くの?」と問われれば、それはただただ行きたいからである。もちろん、もっともらしい理由はいくらでもつけられる。でも、突き詰めると、結局は行きたいから、歩きたいからなのである。

 

チャレンジとか、自分を変えるとか、成長とか、そういう気持ちはいっさいない。

 

そういう目的や理由をつけたがる、世の中の風潮はあまり好きではない。というか、ちょっと気持ちわるい。もちろん、仕事をする上では必要だ。何のためにするのか、それをしてどうしたいのか、どうなりたいのか、などなど。ヒトもモノもカネも、たくさん絡んでくるのだから。

 

でも、すべての行為に目的をもうけるのは、健全じゃないように思えてならないのである。ことプライペードにおいては。大好きなハンバーグを食べるのに、目的がいるのか?友人と酒を飲むのに、明確な理由が必要なのか?好きな人ができたら、なにかを期待して付き合うのか?

 

もちろん価値観は人それぞれだが、僕はそうはなりたくない。

なにごとにも損得勘定で動く人間になってしまいそうで恐いのだ。

 

「やりたいから、やる」。

 

それでいいじゃないか。人間らしいじゃないか。

 

 

 

はじめてのポンチョタープ

以前から、雨具について思うことがあった。

山の天気は変わりやすい。だから、レインウエアとザックカバーは必ず持って行く。でも、雨が降らなければ、なんの役にも立たないのである。万が一のための保険として・・・というのは重々承知。でも、ムダを省きたいなと。持っていったものは全部つかってあげたいなと。

そんなときに興味をもったのが、ポンチョタープなるもの。 雨が降ればポンチョとして、降らなかったとしてもシェルターとして使うのでムダにならない。いいじゃないか。そこで手にしたのが、ゴーライトのポンチョタープ。レインウエア、ザックカバー、そしてシェルターという3つの機能を兼ね備えながら、たったの212gである。

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専用のスタッフバッグ。余裕のある大きさなので、もっと小さくできる。

 

今回、足を運んだのは奥秩父。 秩父湖からスタートし、和名倉山(白石山)、将監峠、飛龍山、サオラ峠を経て、奥多摩の丹波(たば)におりる、1泊2日のルートである。ポンチョタープのおかげもあり、ベースウェイト(水・食料・燃料を除いたバックパックの重量)は4.3kgだった。

計画では、西武秩父駅から秩父湖まではバスに乗るつもりだった。しかし、とある登山者のおじさんがクルマに乗せていってくれるとのことで、お言葉に甘えることにした。ルートの話をしたところ、そのおじさん曰く「ふーん、あそこはなんもねーぞ(笑)」とのこと。知っている。このルートには、これといったスポットというか、クライマックス的なものはない。でも、だから選んだのだ。

僕の好きなキャッチコピーに『敬老の日に、一年分のやさしさをもらうより、一年中、すこしずつ楽しいほうがいい。』(ソニーのウォークマンの広告)というものがある。僕は、めったに訪れないすごい喜びより、日々ちょっとでも楽しいほうがいいと思っている。山も同じで、どっかに辿り着いたら楽しい、ではなく、ずっと楽しみたいのである。

このルート、キツイ登りがかなりつづくのだが、地味に楽しかった。

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野営場所は将監(しょうげん)小屋前。 はじめてのポンチョタープを設営してみる。

 

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タープ内からの景色。宿泊客はゼロ。貸し切り状態。

タープ内からの景色。宿泊客はゼロ。貸し切り状態。

 

あっという間に完了。そして、シルエットもカッコイイじゃないか。

正直、テントやツェルト、大きめのタープに比べれば、居住性は劣る。シェルター内で、座りながら作業するには不便であることは否めない。でも、寝るぶんには充分である。

夜中の寒さは心配だったが、スリーピングバッグにイスカのエア450X(最低使用温度-6℃)を使ったこともあり、まったく問題なく快眠。なによりも、普段ツェルトを使用していることもあり、タープならではの開放感、自然との一体感が心地よかった。これが今回の僕の優先事項でもあったので、狭さは気にならなかったのだ。

ポンチョタープのデメリットとして、雨が降っているなかでの設営というものもあるのだが、まあそれはそれとして、個人的には今後も使っていきたいギアである。

 

 

自分のやりたい仕事とは?

前回に引きつづき、仕事の話を。

以前、人材系のビジネスに携わっていたこともあり、この時期、自然と就活やら新社会人やらの情報が多く入ってくる。

たとえば仕事について。やりたい仕事を探そう、社畜になるな、まずは先輩の言うことを訊け・・・などなど、意見やアドバイスはさまざまだ。

いずれも一理あるし、間違ってはいないのだろう。というか、万人に適用できる模範解答など存在しないであろう。

ただ、やりたい仕事なんて、そうそう見つかるわけではない。

僕自身もそうだった。20歳ちょっとの頃、社会人経験もなく、世の中の仕事もよく知らない自分が、心底やりたいと思える仕事を探す。これはかなり難しいことに感じられた。

正確にいうと、やりたい仕事(もしくは、なんとなくやりたいと思えた仕事)がなかったわけではない。一時的に見つけたというか、自分に言い聞かせ、マインドコントロールしていた部分が大きかった気がするが。でも、多くの人はそんな感じではないだろうか。

普段の暮らしにおいてもそうだが、やりたいと思ったことをやってみて(ヨガをやってみてとか、料理をしてみてとかでもいい)、期待はずれだったり、またやりたいと思えなかったりすることは、よくある。そもそも、自分の「やりたい」という気持ちなんていうのは、かなり不確かなものである。好きになった人を嫌いになったりするのもそうだが、人の感情は不可思議であり、自分でも予測がつかない。

まあ、感情論と仕事を同列に考えていいのかどうかは分らないが、僕はそう思う。

一方で、とりあえず与えられた仕事をこなせるようになる、というのもしっくりこない。筋トレと同じで、意識せずにやっても筋力はつかないし、盲目的にやることほどつまらなく、かつ苦痛なものはない。

じゃあ、僕はどうしていたのか。 とりあえず、携わる仕事に、いちいちやりがいを見いだしていた。 20代の頃、好き嫌いでいうなら嫌いな仕事も山ほどやった。でも、拒否したり、会社を辞めようと思ったことはない。

なぜなら、僕は自分のことを凡人だと思っていたからだ。とくに才能があるわけでもないし、どちらかというとコンプレックスのほうが大きかったかもしれない。だから、好き嫌いではなく、いろんな仕事(業務)をやってみて、あるかもしれない(ないかもしれない)自分の隠れた可能性を引き出したかったのである。

社会人になりたての僕にとって、やりたくないと思う仕事は、言わばただの食わず嫌いでしかないのだ。やってみないと分かるはずがない。事実、まったく興味のなかった仕事に取り組みはじめて、想像以上の楽しさを味わったこともたくさんあった。

職業に貴賤なし。 どんな職業も、その仕事には必ず目的があり、なにかの役に立っている。それを理解して取り組めば、好き嫌いはともかく、やりがいを感じることはできる。そうして経験を積んでいくなかで、徐々に仕事や自分に対する正しい判断基準が身につき、本当にやりたい仕事や自分の適職を絞り込んでいくことができるのではないだろうか。

だから僕は思う。社会人になったばかりの頃は好き嫌いで仕事をするのではなく、やりがいを大事にしたほうがいいと。ま、才能がある人や自分に自信のある人は別ですけどね。

 

 

世界にひとつだけの名刺

サラリーマン時代、名刺はつくるものではなく、つくってもらうものだった。

会社指定のフォーマットがあり、他の社員と異なる部分といえば、肩書きと名前ぐらい。それが当たり前だったし、正直、名刺について深く考えることはなかった。

でも、フリーになったいま、状況は変わった。
名刺は、自分でつくるものになったのだ。厳密に言えば、つくるのは他の人であって、考えるのが自分なのだが。

ただ、早々にいろんな方々に会う機会があったこともあり、取り急ぎつくらなければ・・・となってネットを頼りにした。検索すると、名刺を安く早くつくってくれるサービスがたくさん。

多少比較検討して、利用するサービスを決定。テンプレートを選んで発注をかけた。数日後に届いたのがこれだ。

 

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100枚で3000円ちょっとぐらい(だったかな。初期費用はもう少しかかったかも)。オリジナリティはないが、悪くはない。色味も体裁もそれなりに整っているからよしとしよう・・・ということで、約4カ月にわたり使用してきた。

ただどっかのタイミングで、デザインも含めいちから考えて新調したいとは思っていた。そんな折りに、友人のデザイナーが「フリーの門出を祝って(先行きを哀れんで?)、デザインしてあげますよ」と声をかけてくれた。そうして、先日できあがったのがこれである。

 

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いざ本気になってつくるとなると、いろんなこだわりがでてきて、友人にはかなりの注文をつけてしまった。何回もデザインを変えてもらったし、カラーバリエーションもいくつか出してもらった。

名刺は自分の顔というかアイデンティティにもなるだけに、かなり慎重になったし、妥協するわけにはいかなかった。加えて、名刺がダサイと印象が悪くなりそうだし、仕事の依頼がこなくなるとも思ったのだ。

「神は細部に宿る」。好きな言葉のひとつである。前職時代、徹底的に教え込まれたことでもあり、後輩にも伝えてきたことである。それはなにも仕事だけに限ったことではない。ちょっとしたメールの文面しかり、ファッションしかり、言動や立ち振る舞いしかり。

大事なのは善し悪しではなく、気をつかえているかどうか。気をつかうということは、相手や受け手のことを考えるということ。普段それを考えていない人に、読み手の心を動かす文章などかけるはずがない。そう思うのだ。

だから僕はいまも意識をするし、他人のことも自然とチェックしてしまう。自分が言うほどできているかどうかは定かではない。でも意識した上でのこの名刺。もし、受け取っていい印象を抱かなかったら、早めのご指摘をお願いします。

 

 

 

いざエジプトへ。

以前から、ただならぬ興味を抱いていたツタンカーメン展。
東京は上野、上野の森美術館で1/20まで開催している展覧会である。年が明けるまでは、まあ急いで行かなくても大丈夫だなと思っていたのだが、もはや終了間近。

大阪では、東京開催に先立って昨年の春に開催。興味があるとはいえさすがに大阪まで足を運ぶことはできなかった。それだけに今度こそはと思っていたのだが、残念ながらスケジュール的に難しそうである。

いや、そんなに関心があるのなら、ムリをしてでも行けばいい話。
実は、理由は日程ではなくほかにあるのだ。

昨年、アメリカにわたり、初めての海外、本場のロングトレイル、貴重な世界遺産を心ゆくまで味わってきた私は、どうやら “ホンモノ志向” になってしまったようである。根っからの、ではなく、にわかではあるのだが。インスタントコーヒーではなくレギュラーコーヒー、二郎インスパイア系ではなく二郎、神無月ではなく武藤敬司、といった具合に。

だから、ホンモノのツタンカーメンを、いや、そもそもエジプト文明とは何ぞやということをたしかめるべく、私は迷うことなくあの地へと飛んだのである。自分でも驚くほどの行動力である。

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夕暮れどきのピラミッド、初めて見る巨大な三角のシルエットを前に、私はただただ立ち尽くすしかなかった。やはり、ホンモノは違う。

スフィンクスは、年々劣化が進んでいると聞いていたので心配していたのだが、健在であった。ただ想像以上にこぢんまりしている。

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スフィンクスの胴体は歩いて通れるようになっており、そこを抜けてピラミッドへと入っていく。

受付には、館長風の爺さんがひとり。なぜ、このような建造物をつくったのかを聞いてみると、ピラミッドにはパワーがあって云々と、その効能について語りはじめる。聞いているフリをしてその場をやりすごし、1泊朝食付き5100円を支払う。怪しさのあまり夕食を頼む勇気は出なかった。

泊まったのは、新しく建立されたばかりだという 『ナイル館(かん)』。どうやら爺さんオススメのようだ。

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どう見ても長屋であり、どこにナイルな感じがあるのかはさっぱりである。
部屋はこんな感じである。

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とりあえずくつろごうかな、という気は微塵も起きてこないので、名物だと言われるピラミッド内にある温泉に行ってみることに。道中には、ある意味世界遺産的な不思議なものもあった。

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いやはや、さすが紀元前3000年頃から発達したといわれる古代文明である。
そして温泉がこちら。

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悪くない。しかも、こんな壁画も。

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未知なるパワーをもらった私は、得体の知れない不思議な感覚につつまれながら眠りにつくのであった。

翌朝、思いのほか快適な目覚めを迎えた私は、朝食のために食堂へと向かった。エジプトの朝食とはいったいどんなものなのか。期待と不安を抱く私の目にうつったものは……

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なんの変哲もない和食であった。加えて、マズいぞバカヤロー。でも、ウマすぎてもそれはそれでエジプト感がなさすぎるってものだ。

最後に、上野の森美術館のツタンカーメン展では決して拝むことのできないツタンカーメンに、二度と会わないであろう思いも込めてお別れの挨拶を。

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ホンモノ志向などとエラそうなことを言っていたが、まったくそんなことはないようだ。思えば自分自身、幼い頃から蟹ではなくカニかまを食べ、長嶋ではなくプリティ長嶋を見て、そしてミラノ風ドリアでミラノを感じ、育ってきたのである。ニセモノ万歳!そんなことを思いながら那須塩原にある世界初のピラミッド温泉を後にした。

最愛の人を亡くして思うこと。

大和ハウスのCM「ここで、一緒に」編
http://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/kokode.html

広告としての善し悪しはさておき、夫婦間のやりとり(映像およびストーリー)が個人的には好きだった。まあ、深津絵里好きってのも少なからず影響しているかもしれないが・・・。

なんだかんだ言っても、お互いがお互いにとって一番大切な人である。それが垣間見える内容。

夫役のリリー・フランキーさんが、最後にこんなセリフを口にする。

「・・・その代わり、俺より長生きしろよ」

妻へのやさしさがこもっていていいじゃないか。
自分も言ってみたいものだと、思っていた。
以前は。

たい&あおね

私は、昨年に母を亡くし、今年には父を亡くした。
もともと健康な両親だっただけに、当然のように日本人の平均寿命までは生きつづけるだろう。愚息は、そんな根拠のない自信を持っていた。疑いもなく。二人とも60代でこの世を去ってしまうなんて、しかもつづけざまになんて想像すらしなかった。そして、最愛の人をなくすことの悲しみを、筆舌に尽くし難い無念さを、生まれて初めて実感した。

私は、まだ見ぬ妻に思う。

「俺より先に死んでくれ」

最愛の人を亡くすという想像を絶する悲しみ。これを妻に経験させることなど、私にできるだろうか。「俺より長生きしろよ」と言うことは、自ずと「夫をなくす悲しみを味わえよ」ということも内包する。CMを見て、こんなやりとりをしてみたい衝動にかられていたのだが、どうやら「俺より長生きしろよ」とは言えそうにない。

「独身のオマエが偉そうに言うな」とツッコまれそうだが、まあ単なる妄想というか戯言なので、あまりマジメに受け止めないでもらえればと。ただ、両親の死を通じて自分の価値観は変わる(もしくは上書きされる)のだな、とはマジメに思った。

振り返ってみると、今年は自分にとって初体験のことが多かった。親のことはもちろんだが、サラリーマンを辞めたこともそうだし、海外に行ったこともそうである。

以前は、自分自身、思い立ったが吉日タイプでありチャレンジ精神があるほうだと思っていた。しかし、それなりに歳を重ね、経験値も増え、安定した生活を送っている中で、知らず知らずいろんなことに鈍感になっていた気がする。

今年の漢字は “金” であったが、私にとって今年は、 “ビビッドな感性” を手に入れた年であった。

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山や自然と関わることも、そういった感性を手に入れたり、自分に対する新たな発見をする一助となるのではないか。ブログや仕事を通じて、そんなこともお届けできればと思う。

最後に、念のために言っておくが、私に対する親切心から「熟女と結婚しろ!」という、確率論に任せた短絡的かつ不謹慎な解決策は提示しないように。

※今年の総括的な話をさせていただきました。コーヒーブレイク的な感じで読んでもらえればと。次回から、またハイクがらみの話に戻す予定。あくまで予定ですが。

ブログ再開

ブログを読んでくださっていた皆さん、ご無沙汰しております。
9月17日のエントリー「ロングトレイルは遠足である。(つづき)」を最後に、更新をしておりませんでした。

パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)のスルーハイクはどうなったのか?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。

結論から言いますと、スルーハイクは断念しました。約400mile(約640km)を残して、帰国しました。

帰国時に利用した鉄道「アムトラック」。

帰国時、ポートランドからシアトルまで利用した鉄道「アムトラック」。

実は、出発前から父が病を患っており、病状が悪化した際は帰ると決めていたのです。父の状態が良くないことを知ったのは、2238mile(約3580km)地点にあるTrout Lake(トラウト・レイク)という田舎町におりた時。兄からのメールに詳細が記してありました。

一刻を争う状況ではないとのことでしたが、確実に悪くなってきていることは事実。あと3週間ほどで踏破できる地点にいたとはいえ、迷いはありませんでした。

9月末に帰国。父との生活のはじまりです。生まれてこのかた、何ひとつ親孝行をしてこなかった放蕩息子としては、できる限りのことをしようと考えていました。

しかし、1カ月半が過ぎた11月半ば、残念ながら父は他界しました。享年67歳。多くの方から「早すぎる・・・」という声をいただきましたが、これが父が持って生まれた寿命だったのだと思います。

2238mile(約3580km)地点のTrout Lake(トラウト・レイク)。まぎれもなく、これが、今回の私のゴールです。つづきは、またいつか、かならず。

つづきができるのも、ロングトレイルならではの魅力ですから!

Trout Lakeで泊まった宿。

Trout Lakeで泊まった宿。