初めてのパスポート、そして・・・

36歳にして初めての海外旅行。当然ながら、パスポートの取得も初めてである。

え?戸籍謄本が必要なの?という面倒くささはあったものの、意外とあっけない感じ。2回ほど都庁に足を運んで、無事手にすることができた。

私は、この色で十分満足だ。

「なんで黒(青)なの?」。複数の人からそう言われた。

「そりゃあ、10年モノじゃなくて5年モノだからさ」と当然のように思っていたのだが、どうやら多くの人は10年モノを取るようだ。たしかに、手数料は5000円しか違わない。10年モノのほうがトクである。ただ、36歳のパスポートビギナーにはそんな度胸もしたたかさもない。ビギナー界の常識として、迷わず一番低いレベルのものを選ぶのである。

パスポートを取得すれば恐いものなし!と思っていたのもつかの間、実は、観光ビザが必要とのこと。90日以上の渡航に関しては、ビザが要るのだ。よく耳にするESTA(電子渡航認証システム)ごときではダメなのである。

ただ、このビザが厄介で、パスポートのように簡単には取得できないのである。米国大使館のサイト(すべて英文)から申請を行ない、さらに英文の書類を複数枚提出しなければならないのだ。「PCTの準備の7割は、ビザの取得」と言う人もいるほどである。

ご協力いただいた皆様のおかげです。

海外旅行が初めての私でも、頑張ればビザ用の英文ぐらい書ける・・・・・・なんてことはあるはずがない。というわけで、すぐさま語学堪能な仲間を頼り、提出した。と、ここで終わらないのがビザの取得。最後に、米国大使館での面接が待っていたのだ。面接官は、アメリカ人とおぼしき女性。当然、英語である。所要時間は4~5分ぐらいだろうか。いくつか質問されたが、覚えている内容といえば・・・・・・

面接官:「なんの目的で行くのか?(みたいな質問)」

私:「ハイクスルー ピーシーティー」

面接管:「いつから、こういうことをやっているのか?(みたいな質問)」

私:「テンイヤーズ アゴー」

面接官:「最初に行ったとこはどこか?(みたいな質問)」

私:「マウント フージー」

 ぐらい。

面接官の苦笑いは気のせいだろうか・・・・・・。いずれにせよ、ビザは取得できた。

4200kmの山歩き

普通であれば、退職してすぐに仕事を探す(営業活動をする)のかも知れない。でも、そうはしなかった。

これまで思うようにできなかった山歩きを、しばらく存分に楽しみたい。そう考えたのだ。前職では、11年半働きっぱなしだったといっても過言ではない。有給休暇も体調不良時にたった数日使ったぐらい。この退職後の空白期間を逃してはならないという思いに駆られたのである。

行き先は、以前から憧れを抱いていた『パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)』。PCTは、アメリカ・メキシコ国境付近からアメリカ・カナダ国境付近まで続く、約4200㎞の長距離自然歩道。アメリカ三大長距離自然歩道のひとつである。ここを、バックパックひとつ背負って歩き切るのだ。移動手段は、徒歩のみ。4月26日にスタート地点を出発し、9月末にゴール地点に到達する予定。約5ヵ月間にわたるハイキングだ。基本、テント生活だが、約1週間ごとに街に下り、食料を補給。それを繰り返しながら、踏破を目指すのである。

西海岸寄りがPCT

ただ、断っておきたいのは、大きなチャレンジを試みようと思っているわけではないということだ。旅に行くとか、冒険に行くとか、そういうつもりは一切ない。そもそも、自分は旅人でも、冒険家でもない。ただ単純に、いちハイカーとして、その土地土地の自然や文化に触れながら歩きつづけたいだけである。

言葉も文化も異なる地で、5ヵ月かけて4200kmを踏破する。当然ながら、不安はある。家族も含め多くの方々からも心配された。でも、別に生死をかけて世界最高峰への登頂を目指すわけではない。自然道は日本にだってたくさんある。ただ、それがかなり長く、5ヵ月ぐらいの歳月を要するだけ、のことである。

もちろん、甘く見ているわけではないが、必要以上に驚くほどのことではない。ただひとつだけ気にかかっていることを挙げるなら、これが根津貴央36歳の、人生初の海外旅行ということぐらいだ。

退職

11年半勤めた会社を辞めました。エン・ジャパン(株)という会社です。

同社の設立が2000年1月。自分が入社したのが同年9月。当時、従業員数はたかだか20~30名。家族も友達も知らないような無名のベンチャー企業でした。その後、急成長を遂げ、JASDAQにも上場、一時は従業員数が1000名を超えたほど。一方で、リーマンショックでは大打撃を受け、賞与カットや希望退職も行なうなど辛酸もなめました。

ただ、創業期に入社したおかげで、絶頂期もドン底も味わえたのは、本当に良かった。さまざまな経験をさせていただきました。

事業も仲間も好きだったので、このまま続けていくという選択肢があったのも事実。しかし、辞めることを決意しました。理由はさまざまあるのですが、3つ挙げるとするなら・・・

1. いちライターとして、自然を通じて世の中に伝えるべきことがあると感じた。 2.ネットの世界ではなく、リアルの世界で生きていきたかった。        3.母の急死を経験し、死を身近に感じた。 

 

 

 

 

 

 

では、私がこれから何になるのかというと、フリーランスのアウトドアライターです。

私はこれまで、登山(単独行)を通じて、孤独になることの素晴らしさを味わってきました。ケータイもスマホも使えない中、自分の思うようになるはずもない大自然と対峙する。何をするにもすべて自分の判断。自ずと、自分を信じ、頼るようになる。時には自分の無力さを、時には自分の強さも実感する。独りになることで人のありがたさも心からわかるようになるのです。

多くの人が四六時中デジタルガジェットに触れている現在。常に誰かとつながっている(つながった気になっている)状態から離れ、孤独になること、つながらないことでわかる大事なことがあると思うのです。孤独はさみしいことではなく、自分と向き合うための素敵な時間。それを私は自然の中を歩く行為を通じて伝えていきたいと考えています。

36歳での転身。安定収入も、地位も捨て、一からのスタート。リスクは山ほどある。でも、一度きりの人生、何をしてまっとうしたいか考えた末にくだした決断です。