負けられない戦いがある。

 

ロンドンオリンピックが終わった。私の知らないあいだに。次の街でビール&オリンピックだ!と思っていたのに・・・。今回、運良く観ることができたのは、女子バレーの日韓戦と、陸上男子1600mリレー決勝のみ。たった二種目だけではあるが、特に後者はバハマの走りが素晴らしかった。見事な逆転劇。疲れと眠気を忘れてしまうほど、テンションが上がった。

幼少時代からスポーツに没頭していた自分にとって、オリンピック観戦は4年に一度の楽しみである。負けられない戦いが、そこにはある。真剣勝負の緊張感、緊迫感がたまらないのだ。私も学生時代、幾度となく味わった。まあ、オリンピックとは比べものにならないレベルではあるが。

いま歩いているPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)にも、負けられない戦いとは言わずとも、正念場というか、踏んばりどころというか、そういう場面はたくさんある。重いバックパックを背負ってのロングハイクや、痛みをこらえての歩行、暑さ寒さ雨風との攻防、クマとの死闘などなど。

しかし、カリフォルニアがもうすぐ終わろうという地点で、ついにその時はきた。そう、オリンピックに勝るとも劣らない、根津タカヒサの “負けられない戦い” である。

この戦いは、すでに渡米前から決まっていた。ただ、4月末から3カ月以上にわたって異国の地を歩く中、その戦いのことが頭から離れていたのも事実である。不安はある。しかし、この真剣勝負を誰よりも楽しみにしていたのは、他ならぬ私である。やるしかないのだ。

戦いは、早朝にはじまった。

マウントポジションをとった根津が終始攻めつづけたものの、5パウンド(2.27kg)パンケーキの鉄壁のガードを崩すことはできず。完敗である。

※1726.6mile地点の街、Ashland(アシュランド)より。36歳にして、大食いのしんどさ、無理のきかなさを実感した根津。まわりのハイカーは、「ホットドッグ早食い選手権のコバヤシ(アクセントはヤのところ)も、お前と同じくらいの体格だ。You can do it!」などと言っていたが、そういうもんではないのである。

叫びたくなるときもある。

山で叫ぶとなれば、そう、ヤッホー!である。なぜヤッホー!と言うのかは、ヨーデルの掛け声だとか、キリスト教宣教師の叫んだ言葉だとか諸説あるようだ。では、何の目的で叫ぶのか?辞書的には、1.仲間への合図 2.喜びの表現 らしい。

ただ、仲間への合図のために山でヤッホーと言っている人を、私は見たことがない。街でならあるが・・・(学生時代、会うと「ヤッホー!」と挨拶するキテレツな女性がいたのだ。当時は「ここは山かっ!」とイラッとしていたが、いま思えば使用方法は間違っていないのかもしれない)。

個人的には、山頂に着いたときの開放感と達成感から、ヤッホー!と叫びたくなるのだと思っている。意味合い的には『やったぞー!』という感じだろうか。

そう考えると、別に山じゃなくてもヤッホー!と叫んでもいいはずである。実際、私も前職時代、幾度となく叫びたい衝動にかられていた。さすがに大勢の社員がいる日中はできないが、深夜残業の際は叫んだこともあった(さすがに、ヤッホー!ではない)。もちろん、仕事が片付いた、あるいは、ひと段落ついたときにである。なんのきっかけもなく唐突に叫んでいたら、ただの変態である。

その昔、こんなことがあった。20代前半。駆け出しコピーライター時代。出来の悪い私は、連日連夜、上司H氏に怒鳴られていた。心が折れかけているのでは?と心配したボスK氏(さらに上の上司)が、ある日、私を飲みに誘ってくれたのだ。

ありがたい話をたくさんいただいた。唯一いまでも憶えているのは、「ネヅよ。人間、外に出す行為っていうのは、なんでも気持ちいいもんなんだ」という言葉。具体例もたくさん挙げてくださったが、諸々の事情からここでは割愛させていただく。それにしても、けだし名言である。ボスの名誉のために言っておくが、もちろん、話の趣旨は “仕事のやりがいについて” である。

結局のところ、叫ぶ(声を外に出す)という行為は、気持ちがいいのである。目的やらなんやらは抜きにして、人間の本能が求めているのだ。

というわけで、私は今日も叫ぶのであった。

 

※1606.3mile(約2570km)地点の街、Etnaより。そういえば、声が大きいとよく言われていた。本能が抑えきれないのだろうかと心配になってきた根津。