PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)も2000mileを超えた。残るは700mile弱である。
2000mile歩いて思うのは、“ロングトレイルは遠足である” ということだ。正しい日本語で言うと、“ロング・ディスタンス・ハイクは遠足である” になろうか。ただ、分かりやすさを重視して前者をタイトルにした。
遠足でお決まりのフレーズと言えば、『家に帰るまでが遠足です!』である。本来これは、気をつけて帰るようにという意味であろうが、私は拡大解釈して、行き先以外もすべて遠足の一部であることを意味していると捉えている。
事実、生徒にとってはそうなのである。しおりを作ったり、おやつを買いに行ったりするあたりから、すでに遠足は始まっているのだ。当日になれば母の作るお弁当をのぞき見したり、引率の先生の話す注意事項を聞かずに友だちと喋ったり、バスの中でのレクリエーションで盛り上がったり、はしゃぎ過ぎてバス酔いしたり、気になる女の子にちょっかいだしたり、集団から抜け出して遊びに行ったり・・・。でも、それが楽しいのだ。それも含めて、遠足なのである。
私は、ロングトレイルも同様であることに気がついた。
トレイルだけが楽しいわけではない、歩くだけが楽しいわけではないのである。
ロングトレイルは、その距離の長さから、食料補給のために必ずトレイルを離れる(街に訪れる)機会がある。そこで、その土地の料理を食べたり、文化に触れたり、人と出会ったり・・・これもロングトレイルならではの楽しみであり、これも含めてロングトレイルであると私は思うのだ。だからこそ、このブログでも敢えてトレイル外の話を多く盛り込んでいる。決して、おふざけでやっているわけではないのである。
また、このブログのスタイルは、多くのハイカーに出会う中で感じた違和感も大きく影響している。ハイカーと話していると、「お前は、なんの目的でPCTを歩いてるんだ?」というフレーズをよく耳にする。答えとしてしばしば出てくるのが、「アドベンチャーに挑戦したくて」と「チェンジ・ザ・ライフ」。PCTの目的に正解はない。もちろん、その人の自由だし、人それぞれでいいと思っている。ただ、私としては冒険偏重にはなってほしくないのである。
なぜか。冒険となると、自ずと踏破が目的になってしまい、トレイルを楽しむのではなく、距離をかせぐことに必死になってしまうからである。それは、ロングトレイルの本質ではないはずだ。数年前、私はトレイルランニングが趣味だったのだが、当時とあるトレラン関係者が、レース偏重の傾向を憂いていた。開催されるレースが増え、みんなこぞってレースに参加しようとする。スピードに執着する。しかし、それはトレランの本質ではないと。同感である。
実際、私はロングトレイル(PCTに限る)には冒険的要素はないと思っている。2650mile(約4200km)という数字やアメリカ縦断という言葉から冒険と思われがちだが、日々は至ってフツーのハイキングである。危険を顧みずにトライする箇所もなければ、何度もアタックしないとクリアーできない難所があるわけでもない。加えて、人生が変わることもない。仕事面の何かを変えたいのであれば仕事と向き合うしかない。私生活の何かを変えたいのであれば私生活と対峙するしかない。人生そのものを変えたいのであれば生まれ変わるほかない。ハイキングで人生が変わるのであれば、苦労はないのである。
多くの人が持っているであろう『冒険』や『壮大な挑戦』というロングトレイルのイメージを、私は払拭したい。そして、ロングトレイルの敷居をもっと下げ、より多くの人にロングトレイルの楽しさを味わってほしいと願っている。だからこそ、私は声を大にして言いたい。
“ロングトレイルは遠足である” と。