ヨセミテに見る私的景色論

 

ヨセミテとひと口に言っても、国立公園、世界遺産、ヨセミテ渓谷、ジョン・ミューア・トレイルなどなど、さまざまな切り口がある。

そこで今回は、景色にフォーカスして話をしたいと思う。好意的、非好意的いずれの見解も、あくまで景色についてのみ言及していることを、あらかじめ断っておく。

さて、ヨセミテである。減らず口をたたいていた私が、どう感じたのか。

正直に言おう。

美しかった。山、森林、湖、青空・・・すべてが見事なまでに調和しているのだ。あらゆる美辞麗句が当てはまる、といっても過言ではない。まさに完璧。アーネスト・ホースト以来のミスター・パーフェクトである。

そうだ、私も絶賛なのだ。ただ、好き嫌いで言うと、残念ながら好きな部類ではない。美しいことは認めるが、感動はしなかった。特に人に勧めるつもりもない。

なぜか。
これは、私の性格(性癖?)に大きく依存しているので、他の二つの事例を用いて詳しく解説したいと思う。

まず一つ目は、クルマである。
すでに手放してしまったのだが、私は約6年ほどアルファ・スッドというクルマに乗っていた。


※実物。ガッティーナ(http://www.gattina.net)の旧店舗の前にて。

このクルマ、とにかくフツーじゃないのである。84年式という古さもそうだが、左ハンドル&マニュアル車だし、キャブ車(エンジンの電子制御なし)だし、エンジンをかける前にアクセルを数回踏む必要があるし、半クラの位置がつかみづらいし、二週間ぐらい乗らないとエンジンがかからなくなるし、重ステだし(パワステに非ず)、パワーウインドウじゃないし(つまり手動)、エアコンは効かないし、たまにワイパーが外れるし・・・でも、かけがえのないクルマだった。まったくと言っていいほど電子化されていないため、超アナログ。ハンドルを握る私にとっては、まるで自分の運動エネルギーがそのままクルマに伝わっているかのよう(もちろん力学的にはありえない)。手間はかかるし、配慮も必要だが、『効率化=幸せ』ではない。一心同体というか、ニコイチというか、そういう感覚を満喫していた。

二つ目は、ウルトラライトギア。

こちらは、ULバックパックとしてお馴染みのGossamer Gear Mariposa Plus(諸事情により、現在はGranite Gear Crown60を使用)。まだまだ使いこなしてはいないのだが、とても興味がある。軽さに、というよりは、軽さを優先させるがゆえの不完全さに、である。軽さ重視となれば、おのずと強度なり、耐久性なり、多機能性なり、何かしらのファクターの順位を下げざるを得ない。もちろん、下げると言っても必要最低限の性能は担保されている。しかし、ハイカーの使い方は十人十色。使い手ごとに、それなりの配慮や工夫が必要になる。これを面倒だと思う人もいるかもしれないが、私はそこにただならぬ面白さを感じるのだ。軽さという点で十分頑張ってくれているんだから、他の部分をサポートしてやってもいいじゃないか。持ちつ持たれつでいこうじゃないかと。

上記二つには、共通点がある。

それは、対象物との “補完関係” である。補完関係が成立すると、行為をシェアする感覚が芽生え(一緒にドライブをする・一緒にハイクをする ※いずれも、私と対象物との間に主従関係はなく、対等な立場であることがポイント)、感情移入が生じるのである。こうなると、もう楽しくて仕方がないのだ。

この感覚は、非の打ち所がない完璧なモノには生まれない。当然である。補う必要がないのだから。

つまり、完璧なヨセミテの景色には、私の(想像の)入り込む余地など一切なく、いまいち楽しめないのである。景色にそんなもん求めるなと言われれば、それまでではある。だから、私的景色論なのだ。

ちなみに、PCTの景色で最も好きなのは、Southern Californiaのとある砂漠地帯である。単調でつまらないと言う人もいるかもしれない。でも私は、それを目にした時、言葉も出ず、しばらく立ちすくんでしまった。

いまにもジャバ・ザ・ハット主催のポッド・レースが始まる(STAR WARS episode1より)ような感覚に襲われたのだ。どのくらい気を取られていたのだろうか。後続のハイカーに声をかけられ、我に返ったのを今でも覚えている。

ヨセミテの景色は写真で伝わるが、私の言う砂漠地帯は写真では伝わらない。それでいい。それでこそ、自ら足を運んだ価値があるのだ。

※1094.5mile(約1751km)地点の街、South Lake Tahoeより。補完関係だとか、行為のシェアだとか言っているうちに、「オレって意外と結婚生活に向いてる?」と思いはじめた根津。気のせいか。